研究内容
私たちの体の中には,生まれてから死ぬまでの一生を通じて,体内に侵入した微生物や変性した自己細胞が頻繁に出現します。これらの排除や制御は生体の恒常性維持に必須であり,その破綻は疾患につながります。私たちの体に備わっている免疫系は,除去すべき細胞や物質を認識し,抗微生物性物質や免疫細胞を動員して標的を排除します。
一方で,細菌にとっては私たちの体内への侵入は大きな環境変化であり,体液や免疫細胞を認識して遺伝子発現を変化させます。つまり,宿主と細菌が遭遇すると,両者は違いを認識することにより,特有の遺伝子発現レパートリーを持ちます。その総和が,感染成立,細菌排除,両者の共存などの関係を規定すると考えることができます。
化学教室では,物質の構造と機能の視点に立ち,次の研究課題に取り組んでいます。
・宿主ー細菌の相互応答と感染調節
・自然免疫による生体恒常性維持の調節
宿主感知時の細菌遺伝子発現制御と感染調節
宿主内に細菌が侵入すると,宿主は細菌由来物質を特異的受容体で認識して免疫を発動する。一方で,細菌にも膜受容体が存在し,宿主由来物質を認識して遺伝子発現を変化させる。両者の総和が,感染状態を規定している。
細菌毒性を規定する環境中因子の構造と機能
細菌には環境を感知する仕組みがあり,二成分制御系と呼ばれている。これは,細菌細胞膜に局在する膜型ヒスチジンキナーゼ(センサーキナーゼ)と,転写調節因子(レスポンスレギュレーター)とから構成され,その組み合わせにより,制御される遺伝子群が決められる。モデル細菌の大腸菌はグラム陰性細菌に属し,全ての遺伝子が同定され,遺伝子発現の制御機構が最もよく調べられており,病原性細菌を含む多くのグラム陰性細菌と制御機構の共通性が高い。このことから,大腸菌をモデルとして見出された感染調節機構は,感染症の原因や創薬の標的となりうる。
化学教室では,大腸菌の二成分制御系因子を網羅的に解析し,宿主体液により活性変化する情報経路の下流で働く遺伝子群のなかから,感染の調節に働く遺伝子を同定し,その機能を明らかにしています。また,タバコや化粧品成分などに暴露された細菌が毒性を変化させ,肌や粘膜へ傷害を与える機構を提唱しています。
食細胞による微生物および変性自己細胞の処理
自然免疫は,T細胞受容体や抗体のように,遺伝子の再編成を必要とせずに働き,遺伝学モデル生物のショウジョウバエからヒトを含む哺乳類に至るまで,遺伝子やその働きの進化的保存性が高い。自然免疫反応は,液性応答と細胞性応答に大別され,液性応答では抗微生物性物質や,免疫調節因子が産生される。哺乳類のToll様受容体は昆虫の発生や免疫を制御する膜受容体のTollが保存されたものであり,TNF受容体を介する分子機構は,昆虫のImd経路の因子とほぼ共通する分子により構成されている。一方,自然免疫での細胞性応答の中心は食細胞による貪食反応であり,遺伝学モデル生物の線虫が有する2つの経路の構成因子は,ショウジョウバエ,さらには,ヒトを含む哺乳類にそのカウンターパートが存在している。
化学教室では,黄色ブドウ球菌の細胞壁成分の変異体の網羅的解析により,Toll様受容体TLR2のリガンドがリポタンパク質であることを共同研究により同定したほか,別の細胞壁成分であるタイコ酸のアミノ酸修飾が,そのリガンド活性を低下させ,細菌が免疫を回避することを明らかにしてきました。そして,この機構が,ショウジョウバエと哺乳類の両者で共通することも示しています。一方,ショウジョウバエにも哺乳類のマクロファージに相当する食細胞が存在し,細菌や死細胞を感知する受容体経路は共通しています。ショウジョウバエの遺伝学と細菌の遺伝学を組み合わせた感染実験で,マクロファージの貪食受容体を同定するとともに,細菌細胞壁のリガンドも明らかにしました。そして,これらがマウスやヒトなど,哺乳類のマクロファージにも存在し,恒常性維持に働くことが明らかにされています。
生体防御タンパク質の構造と機能,および臨床応用
呼吸は生きていくうえで必要不可欠な活動ですが,同時に様々な感染微生物が体内に侵入する機会にもなります。つまり,呼吸器は常に感染微生物と接触する可能性のある器官であり,生体防御の最前線のひとつであるといえます。その表面には,我々の体を感染微生物から守るための,非常に洗練された生体防御機構が備わっているはずです。
化学教室では,生体防御機構のなかでも自然免疫に着目して,肺コレクチンとよばれるタンパク質の機能解析を行なってきました。これまでに,肺コレクチンが細胞内寄生細菌(レジオネラや非結核性抗酸菌)の増殖を抑制すること,抗菌ペプチドの機能調節分子としてはたらくことで過剰な炎症を制御していることなどを示す結果を報告してきました。また,肺コレクチンは異所性(尿路)にも発現していることを示し,尿路病原性大腸菌が尿路表面へ接着するのを阻止していることも報告してきました。今後,肺コレクチンの構造機能相関をより詳細に解析することで,生体恒常性維持における肺コレクチンの役割の全容を明らかにしていきたいと考えています。